広かった吹奏楽の裾野が急激に狭まっているのを感じています。
科学に基づいた対策をする事でなんとか吹奏楽を守りたい人たちの心を折るような、イメージからの休止要請。
何もかもバカらしくなる気持ちがわかるという話をマンガにしてみました。
とある吹奏楽部員の2年間の話
参考:株式会社ヤマハミュージックジャパン 管楽器・教育楽器の飛沫可視化実験
飛沫可視化実験とは
飛沫可視化実験は、上記の株式会社ヤマハミュージックジャパンのサイトを参考にさせていただきました。
特性の異なる楽器ごとに演奏時の飛沫の拡散の仕方を検証し見える化している動画は、とても分かりやすくかつ科学的なアプローチで信頼に足るものだと思います。
くしゃみや通常の発声時の飛沫の飛び方に比べて、演奏時の管楽器や教育楽器自体からの飛沫はかなり少ないということが可視化されています。
また演奏時と比較すると、水抜きや金管のマウスピース練習の時には飛沫が多めということも分かり、科学的に部活動や教室での注意すべきポイントを示してくれています。
吹奏楽や音楽での演奏は危険で自粛が当然だと思われる方は、ぜひ一度上記の動画を見てみてください。楽器がほとんど飛沫を受け止めていて「音が大きい=飛沫が飛ぶ」という訳ではないということがよく分かります。
子どもたちの2年間
吹奏楽はイメージほど活動に危険はないのにも関わらず、2020年からずっと吹奏楽部はことあるごとに活動休止を余儀なくされてきました。このマンガのような出来事は一度だけではありません。何度も何度も繰り返されてきたのです。そりゃ部員も減りますよね。バカらしくなって辞めていく部員の気持ちもよくわかります。
それでも辞められない子は、音楽や吹奏楽、あるいは仲間たちがその子にとってとても大切なものなのでしょう。誰にだってありますよね。大事で大切で、これだけは止められない自分の核になるようなこと。部活や行事ごときに拘るな、そんな部活辞めてしまえばいいと思う人は、自分にとって一番大事なものに置き換えて、それをどう考えても科学的でない不公平な鶴の一声で、簡単に何度も奪われることを想像してみてください。
幾度となく出される自粛の要請の最大の被害者は子どもや若者たちです。大人はうまく躱せるかもしれませんが、学校が生活の場である人たちがそれを躱すのはとても難しく、行事や部活、普通の日常、その子にとって大切なものを簡単に奪われてしまう現状があります。
吹奏楽は学校という場がないと、続けることがとても困難です。雪国では外で練習できる季節なんてほとんどないですし、大きな音が出る楽器は暖かい地方でも練習できる場所がとても限られるでしょう。吹奏楽に限らず、スポーツなど他の活動でもそうですよね。
ガイドラインの遵守は彼らにとって大事なものを奪われないための精一杯の取引ですが、それもあっさり反故にされ、もう何を信じていいのか分からないことでしょう。この不信感や怒りはどこに向かうのか、分かり易い反抗ならまだしも、無力感やセルフネグレクトに向かっているように見えることがとても心配です。
子どもたちが自分を発揮して生きることは成長にとってとても大事なことで、同じものを目指す仲間との出会いや場を提供することが学校の大きな役割であり魅力だった筈です。しかし2020年以降、ただ座学の授業だけを(所によってはほぼオンラインで)提供するだけで学校や大学の役割を果たせると考えている、もしくはそう仕向けたい一部の大人たちが、若者の世界をすっかり変えてしまいました。
若者たちの権利がバッサバッサと音を立てて切り捨てられている様子を見て、彼らは何を感じているでしょうか?
可哀想だとかそういうレベルはとっくに過ぎてしまっていると感じています。どうか子どもや若者たちに以前の日常を。