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平成30年北海道胆振東部地震

マグニチュードと震度

2018年9月6日未明、北海道胆振(いぶり)地方中東部を震源とした地震が発生しました。その後「平成30年北海道胆振東部地震」と命名された地震の規模を表すマグニチュードは6.7。 大規模な土砂崩れなど甚大な被害を受けた厚真町(あつまちょう)の震度は7と発表されました。

地震情報|tenki.jp

厚真町や被害の大きかった地域にお住まいの被災者の皆さんのことを思うと、本当に何と言っていいのか言葉が見つかりません。震源地に近い地域の皆さんは、まだ余震や避難生活、ライフラインの確保などで緊張が続く毎日だと思いますが、どうぞお体にお気をつけて、1日も早く日常を取り戻せるようお祈りするばかりです。

今回の地震は東日本大震災のような海溝型の地震ではなく内陸型の地震であったにもかかわらず、北海道のかなり広い範囲で大きな揺れを感じました。震度7の厚真町、震度6強の安平町とむかわ町、北海道の空玄関、千歳市では震度6弱と発表されました。

札幌の震度

震源から距離の離れた札幌でも、場所によっては大きな揺れに襲われ、液状化現象など大きな被害に見舞われました。札幌の揺れで驚いたのは、同じ市内でも地域によって揺れの大きさや被害の状況が大きく異なったことです。

東区は震度6弱で、札幌市内では観測史上最大の揺れだったことがわかった。他に清田区と白石区、手稲区で5強、厚別区と豊平区、西区が5弱と判明したという。6日の発表では、北区の5強が市内の最大震度で、中央区が4とされていた。

札幌・東区の震度は「6弱」市内で観測史上最大の揺れ|朝日新聞デジタル

この他、南区は震度3と発表されています。同じ札幌市でも揺れや液状化で甚大な被害と受けたところもあれば、揺れでは大きな被害は受けなかった地域もあったことが分かります。これまで札幌で観測されてきた最大震度は4でしたが、今回の地震では一気に震度6弱まで観測することとなりました。

初めて体験した都市型の大規模停電

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私は札幌に住んでいます。ここに引っ越してくる前は首都圏に住んでおり、そこで7年前の東日本大震災を経験しました。どちらも震源地からは距離があり、震源近くの被災者の方に比べれば、体験したのは被災ともいえない軽微なレベルの体験で、それを語るのは大きな被害を受けた方に申し訳ないという気持ちもあります。

しかし今回、再び大きな地震災害に遭遇して、同じような光景と全く異なる光景を目にすることになり、比較することでいろいろ考えさせられました。今回の災害で初めて経験したのは、北海道全戸にわたった停電です。おそらく日本人が、現代社会でこれほど大規模な停電に見舞われたことは初めてでしょう。

これまで地域的な停電や計画停電を経験したことはありますが、今回の停電は全く別のものだと感じました。今までの停電のイメージをはるかに超えた状況に「大規模停電というのはこういうことか!」と、改めて思い知らされました。

そこで、どこにいても地震のリスクがある日本という国に住む者として、都市の防災と停電への備えという観点から、都市型の大規模停電で市民生活はこうなるということを今回の体験をもとにお話ししたいと思います。

9月6日未明札幌での地震

地震の経験はそれなりにあるはずなのですが、9月6日の午前3時8分頃、ガタガタガタという音と揺れに起こされ「地震です」という緊急地震速報の声がスマホから聞こえてきたときは、かなり驚きました。というのも、札幌に引っ越してきてから何年もの間、地震らしい地震の揺れを感じたことが一度もなかったからです。札幌は地震のほとんどない地域と思っており、正直に言ってすっかり油断していました。

幸運にも鍋が一個床に落ちたくらいの被害だったとはいえ、普段地震のない地域に起こった揺れに、地震の規模を表すマグニチュードはかなり大きいのではないかと感じました。

揺れが収まった直後、電気を点けると普通に点灯できました。水道の蛇口をひねると水も出ました。この時念のため台所のボールと鍋に水を貯めました。スマホですぐ地震情報を確認しましたがあまり情報がなく、まさかこれほどの被害を出しているとは思わず、バスタブに水を貯めるほどではないかと思いそのまま寝ることにしました。

反省点:この時貯めた水は役に立ちましたが、バスタブにも水を貯めておけばよかったと後で思いました。

数分後の停電

揺れがおさまって数分後、子どもが停電に気づきました。確かめて見ると確かに停電になっていたので、冷蔵庫の氷をシンクに全て捨て、コンセントを抜きました。

すぐ出せるところに懐中電灯がなかったので、この時に使えた灯りはスマホのフラッシュライト機能のみ。その時点で充電は完了していて、かろうじて震源地など大まかな情報はスマホで調べられましたが、テレビ、パソコン、ラジオなど電源が必要なものは何も使えない状態で、何が起こっているのかよくわかりません。

とにかく全てがスマホ頼みな状態です。そのスマホも最近電池が劣化気味で心もとなかったのと、真っ暗な中動き回るのもどうかと思ったので充電を温存し、そのまま寝ることにしました。

反省点:非常用の懐中電灯はすぐに手の届くところに置いておくべきでした。

地震がない地域だと思って油断がありました。もしかすると、スマホでしっかり情報を集めるべきだったのかもしれませんが、この時点で知ることができる情報はわずかでしたし、急激にネットに繋がりにくくなっていきました。

この時起こっていたこと

この時、道内で最大量の電力を賄っていた苫東厚真(とまとうあつま)石炭火力発電所が被災し停止したために、需給バランスが崩れ北海道全域が停電に陥っていたわけですが、そんなことはつゆ知らずそのうち復旧するだろうと思っていました。今思うとこれ危険なことだったのかもしれません。この時泊原発では外部電源が失われ、非常用ディーゼル発電機で使用済み核燃料1527体の冷却を続けている状態でした。

都市型の大規模停電で市民生活はこうなる

当日の朝分かったこと

起床後、電気を確認すると停電は続いていました。そして水道の蛇口をひねると地震直後は出ていた水が出ないということに気づきました。うちのマンションの給水方式は、電気がないと汲み上げられないタイプだったんですね。お恥ずかしいことにこの時初めて知りました。

そして停電が北海道全域にわたっているということも知り、衝撃を受けました。北海道全域というのは、広さでいうと関東全域以上、それどころか関東から上越までをも突き抜けるような広い範囲です。この広い範囲が全て停電。しかも北海道は海に囲まれているので物資や人が入ることも出ることもできない!?と、これはただ事ではないなと今更ながら驚き困惑しました。

停電というとまず、真っ暗、電気がつかない、家電が使えないなどという漠然としたイメージが湧くと思いますが、影響が限定的だったのは昔の話で、現代の生活で大停電が起こるとその影響は多岐に渡ります。一市民の狭い視点からしかわかりませんが、身の回りに起こったことを挙げていきます。

固定電話が使えない

連絡網は機能しない

まず普段早朝に家を出る子どもの高校がどうなるか気になりました。絶対休みだと思いつつ、一応確認するように言ったのですが、ふと気づくとその術がありません。停電だと固定電話が使えなくなるので、携帯から学校に電話はできても向こうでの受信は不可能です。もちろん電話による連絡網も使えません。

学校メールやホームページもダメ

メールが送られてくるのではと思うかもしれませんが、学校側のサーバーもダウンしています。同じ理由で学校のホームページも「アクセスできません」という表示が出て、サイトで確認することもできません。たとえ確認できたとしても、多分サイトの更新自体ができていなかっただろうと思います。

携帯だけが連絡手段

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結果どうなったかというと、早朝にもかかわらず担任の先生から直接私の携帯電話に連絡がありました。一人ひとり連絡してくださったかと思うと頭が下がります。また先に連絡を受けた同級生からもLINEで連絡があったそうです。

中学生の子どもの学校は登校が比較的遅かったので、札幌市広報部のTwitterで確認することができました。本人のLINEでも回ってきたようです。非常時のTwitterとLINEはやはり強いですね。(SNSは強いのと同時に危うさも感じましたがそちらは後述します。)


しかしここで問題が。連絡手段がスマホしかないにも関わらず、一通り学校や仕事に必要な連絡を済ませるとかなり充電が減っていました。これが切れると必要な電話も出来なくなるので、連絡手段以外では極力使わないことにしました。

反省点:モバイルバッテリーを買っておけばよかったと激しく後悔しました。

張り紙も有効だった

午後、学校の前を通った時に確認したところ翌7日も休みという貼り紙が貼ってあったので、早めに休校を確認できました。アナログですが、張り紙も有効でした。

信号がつかない

意外にも車が結構走っていた

当日の朝7時ごろ、一通り連絡を終えて外に出てみると、信号が全て消灯していました。そしてとても静かでした。台風が通過したばかりで天気も良く静かな中、救急搬送のサイレンの音だけが遠くからひっきりなしに聞こえていました。

北海道全域で信号が消えこのような状態なのだと思うと、背筋が寒くなりました。静かな青空の中、どこかで助けを求めている人がいるのかと思うと、やるせない気持ちになりました。ただ、これでは怖くて運転できずほとんど車は出ていないだろうと予想に反して、意外にも自家用車が結構走っています。正直チャレンジャーだなと思いました。

それなりに広い交差点も信号が消灯したまま、朝の段階では交通整理も確認できませんでした。それでも車や歩行者、自転車が交通整理のない状態で通行していて、それなりにスムーズに流れていきます。ある程度の台数が流れたら止まり、次に交差する方の車が何台か流れて、歩行者や自転車も車と同じタイミングで横断する、ということが黙々と交互に繰り返され、暗黙の了解のようなものが成立していることに驚きました。

雪道で培ったスキル?

北海道の冬は、ある日突然雪でセンターラインや車線が見えなくなったり、道幅が極端に狭くなったりということは日常的に起こります。こういった臨機応変な運転は、もしかしたら道民の隠れた才能なのかもしれないと、密かに感心しました。

しかし、やはり危険ですし不要不急の運転は避けるようにと言う広報もありましたので、基本的には信号がついてない時は運転は避けた方がいいのではないかとも思いました。どうしても必要な場合に備えて貴重なガソリンを温存することにもつながります。東日本大震災の時は、計画停電の時に信号の消灯した交差点で死亡事故が起こっています。

追記:朝7時ごろの光景では上記のような印象を持ったのですが、その後の報道を見ると、地震の直後、日の出前で信号が消灯した真っ暗な状態の時も、車や自転車が走っていて危険な状況だったようですね。暗いと道路の状況も見えませんし、2次災害につながるので、よほどの理由がなければ車で外出するのは基本的に避けるべきだと思います。

警察官が交通整理

午後もう一度外に出た時は朝よりも車が増え、一部の道路では渋滞も発生していて、朝よりも危険を感じました。地域で一番大きな交差点では、警察官が2人1組で交通整理をしてくれていました。かなり交通量のある大きな交差点の中央での交通整理は危険が伴いますし、訓練はしていても実際に行うのは初めてなのではないかと思うのですが、非常に的確な整理で多くの車や歩行者をさばいていました。

お店の様子

コンビニ

地震当日の朝、うちの近くのコンビニは(セブンイレブン・ローソン・ファミリーマート・セイコーマート)も薄暗い中、出来る範囲でお店を営業してくれていました。

この朝、セイコーマートで買い物をしましたが、暗い中お客は粛々と長い列に並んで、店員さんはいつものように「いらっしゃいませ」と言ってからレジを打ちます。棚のものはみるみる減っていきますが、略奪のようなことは決して起こらない。これは東日本大震災の時にも見た光景だなと感じました。

自分の家庭もあるでしょうに、こういう時に営業してくれる店があり、レジを打ってくれる店員さんがいる。7年前も思ったのですが、これは本当に尊いことですね。コンビニに限りませんが、日本のお店はこういう努力があるから、明日も買い物ができるだろうという安心感が生まれ、お客の、ともすれば買い占めたくなる不安を減らし、日常に戻っていくことができるのだろうと思います。

なお、セイコーマートは道内に本社がある地元密着型のコンビニです。今回その強みを活かし、一番開店時間と品数が多いコンビニとなったようです。
「セイコーマート」95%が営業できた理由は|毎日新聞

電子マネーやカードは使えない

私の行ったコンビニはレジは使えていましたが、もちろん会計は現金のみでした。停電になると電子マネーやクレジットカードは使えません。キャッシュレス化の意外な弱点が停電で浮かびあがりました。

レジの形式によっては営業できない

また、レジの形式によっては品物はあっても営業はできないというお店もあったのではないかと思います。そう行った理由かどうかは分かりませんが、近くの大型スーパーは開店が確認できませんでした。セルフレジが普及していますが、それのみで対応しているお店は停電時の営業が難しくなるのかもしれません。

ATMは使えない

お金をおろそうととしても、ATMは使えません。地震当日の時点で、この停電がいつまで続くか分からなかったので、手持ちの現金が保つかとても心配でした。もしこれが地域的な停電なら、少し移動すればお金もおろすことも出来たのでしょうが、全道全域です。万一に備えて、現金はある程度手元に置いておくべきだと痛感しました。

大規模停電で市民生活はこうなる。首都圏と札幌で地震に遭遇して:2につづく

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