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YOSAKOIソーランの批判について思うこと。マナーが悪いは本当なのか?

800bikuni / Pixabay

昨年あたりから、ネットでのYOSAKOIソーランの批判が目につくようになっていますね。ちょっとエスカレートしているようにも感じます。まとめサイトなどを見ると、いかにYOSAKOIソーランが地元の北海道人から嫌われているかという論調が目につくようになっていました。私が目にした批判の内容は、このような感じでした。

・そもそも誰のための祭りなの!?ファンなんているの?
・あの音楽が嫌い
・マナーが悪い
・DQNばっかり
・神事でもないのにまつりって
・音がうるさい
・偽善だ etc.

まとめているのがどこの地域の人かは分かりませんが、引用されている意見を地元民が発信している、というのも気になりました。そしてそれを他の地域の人はそうなんだ…と納得し、ある種の驚きを感じているようにも見えました。この記事では、これらの批判に対して、個人的に思うことを書きたいと思います。

そもそも誰のための祭りなの!?ファンなんているの?

こういう祭りは昔から基本的に、踊る阿呆と観る阿呆のためのものです。同じアホなら踊らにゃソンソン!ってやつですね。でも実は地域に貢献した、地域のためのものでもあるとも思います。

ファンはいますよ。私は好きです。

あの音楽が嫌い

それは自由です。どんなジャンルにも好きな人もいますし、嫌う人もいます。だからと言って自分の嫌いなジャンルに取り組む人を貶めるのは違うと思いますが。

マナーが悪い

これに関しては後述しますが、私はよくYOSAKOIソーラン祭りを観に行くので、コンビニや屋台、交通機関でも踊り手さんとよく遭遇します。でもマナーが悪いと感じたことは、本当にただの一度もありません。しかし、多くの人が参加している祭りですので、もしかすると中にはそういう人もいたのかもしれませんね。

ただ大きな声で挨拶することを偽善だと言われてしまうのは、「じゃ、どうすりゃいいの」と思いますが。

DQNばっかり

私の目から見ると、YOSAKOIソーラン好きのごく普通の学生さんやごく普通の老若男女に見えます。派手な衣装や化粧は、仕様です。まあ参加人数が多い祭りですので、いろんな人がいるのは事実だと思いますが、ばっかりというのは違うと思います。

神事でもないのにまつりって

日本語は難しく、神事でない祭りも「祭り」ということばを使うことがあります。いわゆる都市祭りというものですね。雪まつりも神事ではありませんし、ライラック祭りもそうです。ちなみに文化祭や体育祭も神事ではありませんが祭りという言葉を使います。

音がうるさい

確かに騒音問題は、課題だと思います。近くに住んでいる人は迷惑に感じる場合もあるでしょうし…。でも、まとめサイトなどを見ている人の中には、誤解している人もいるのではと思うのでその点を書きます。

まず、5日間の祭り期間、ずっと交通規制をして音楽を鳴らして踊っているわけではありません。初日から3日間の平日は、開催場所も商業・ビジネス街である大通公園のステージやすすきのなどの一部の地区に限られていますし、時間も会社が終了したアフターファイブのみです。

交通規制があって、札幌のあちらこちらで演舞があるのは、最後の土日だけです。その場所も、一部平岸や新琴似などYOSAKOIソーラン有力チームの地元が含まれていますが、基本的には住宅街ではなく商業施設や駅前がほとんどです。

会場について詳しくはこちらの公式サイトへ

ただ、ある程度大きな音を出さないと踊り手全員に聞こえないという事情はあるにしろ、適正な音量を心がけることは必要だと思います。

交通規制が迷惑

交通規制に関しても課題だと思います。ただ、思うのですが、札幌の人は首都圏などの人のように日常的な渋滞や駐車場不足に慣れていないという事情もあり、たまの交通規制に敏感に反応してしまうのではないかとも感じます。

例えば、首都圏では花火大会などの大きなイベントがあるときに、車でそこに近づくのは致命的という感覚があると思います。そういうイベントの時は公共交通機関を使おうと、経験から学んで実践する人が多いのではないでしょうか。北海道はそういう感覚が薄いのかな?と感じることがあります。

北海道は車社会で、冬はそれはそれで厳しい思いをするのですが、首都圏に比べて渋滞や交通規制の頻度も場所も少なく、そういう意味での耐性のつき方が異なるのかなとも思いました。交通事情はそれぞれ地域差があるので、感覚の差は仕方がありませんね。

なぜYOSAKOIソーランだけが

一連の批判の流れを地元の人が発信している、というところが気になりました。一度流れができてしまうと、どんどんと口コミが増えエスカレートしていっているように見えることも。また他にも似たような祭りが日本全国であるのに、YOSAKOIソーランの批判が突出しているように見えることも。普通は地元の祭りをその地域の人が悪く言うことはあまりないと思います。

こちらに来て時々感じるのが、北海道の魅力やブランドは、道外の人の方が高く評価してくれているのではないかということです。

道内でどれだけ認知されているのかわかりませんが、YOSAKOIソーランは道外でもかなり知名度があります。昔某有名学園ドラマで「南中ソーラン」が取り上げられて以来(そのせいでDQNイメージがついてしまった感もありますが)、本州の運動会の人気コンテンツとなり、いろいろな学校で踊られています。そういうわけで小学校などで南中ソーランを踊ったことがあるという人は全国的にかなりの人数にのぼると思われます。

うちの子どももこちらに来る前に首都圏の運動会で踊っていました。熱心に練習していて、かなり見ごたえがありました。そんな馴染みのあるソーラン節の祭りが、地元の人に嫌われているらしいということで、ある種の驚きを持って急激に拡散していったのではないかと個人的に感じています。

そして一度そういう流れができてしまうとそれに乗る人がどんどん出てきます。そして大きな声で批判をする人の前で、「えっ?私は好きだよ?」とか「嫌いなのは個人の自由かもしれないけれど、そこまで言う必要ある?」とは言いにくくなる。←今ここ。そんな状況に私には見えます。

札幌の魅力とは

厳しいことを言いますが、札幌は魅力あふれる街で、何もしなくても観光客が来てくれる、自分一人が何を言ってもブランドイメージが傷つくことはないと思っているのならそれは間違いです。

札幌は広大な北海道に分散する素晴らしい食やブランドが、コンパクトに集まり楽しめるという意味で魅力がある街ですが、恒常的な観光資源ははっきり言って貧弱です。古都のような歴史はなく、都会としての魅力は首都に及ばず、大自然の美しさは北海道の他の地域に敵いません。有名な時計台や道庁はビルの谷間に埋もれていますし、大通公園よりも素晴らしい環境の公園はいくらでもあるでしょう。

それでも私は、大通公園ほど好きな公園はありません。オータムフェストなどの数々の食の祭典。冬のホワイトイルミネーション、そしてさっぽろ雪まつり。雪解け後はライラックまつり、そしてYOSAKOIソーラン祭り。こんなに色々な顔を次々に見せてくれる公園が他にあるでしょうか。

でもそれは訪れる市民や観光客がいて、それに関わる人の努力の歴史が作り上げてきたものです。もしこれら一連のイベントがなくなってしまったら、札幌の魅力は半減してしまうのではないでしょうか。

この記事を書こうと思ったきっかけ

当事者は反論できない

ちなみに私はYOSAKOIソーランの関係者ではありませんし、身内に踊り手さんや運営に関わる人もいません。ただ札幌に住んでいてYOSAKOIソーランが好きで毎年見に行くというだけの人間です。そして今の時流、一旦できた流れに沿わない意見を言うことの難しさも日々感じています。

それでもこの流れに反論したくなったのは、昨年(2016年)の祭りの日、地下鉄の中で見たとある学生チームの様子に感じるところがあったからです。

私は祭りの土日、(審査があり、札幌のあちこちで演舞が行われる日です)会場をはしごして観ることも多いので、ドニチカキップを使ってよく地下鉄を利用します。ですから、衣装を着て市内を移動する大人数のチームの皆さんとも結構な頻度で遭遇するのですが、そのマナーに感心することはあれ、悪いと思ったことは一度もありませんでした。

例えば地下鉄を降りた後、まずは壁際によって一般乗客の流れを妨げないように待ち、人の流れが引いたところで一列で移動を始める様子を見て、そのチームは実力派で名が通ったところだったので、さすがだな〜と感心したり…。

昨年のその日も、本祭で活躍する某学生チームと遭遇しました。祭り当日はチームの皆さんは揃いの衣装ですので、すぐに分かります。駅に地下鉄が入ってくると、一つの車両に集まらないように各車両に分散し、一つの車両に10人未満くらいずつの踊り子さんが円く固まって立っているのが見えました。

「一般乗客の迷惑にならないように考えて乗車しているんだなー」と思いながら私も乗り込み、目的の駅までご一緒して、その間数駅約10分。

広がらないようにぎゅっと固まって立っている若いその踊り手さんたちは、硬い表情で口もぎゅっとつぐんで、一言も、本当に誰一人ただ一言も喋りませんでした。

若い綺麗な衣装の踊り手さんが何人も集まっているのに、衆目を集めないように石のように固まって息を詰めている様子に、緊張感がこちらまで伝わってきて、何だか悲しく本当に気の毒になりました。

私もこの年は、ネットでまとめられたり、一人歩きしてエスカレートしていく批判に思うところがありました。でも流れに沿わない意見を言うのは勇気がいりますし、それを言うほどの関係者でもないし…と思っていました。でもこれを見て、やっぱり当の踊り手さんたちは辛い思いをしているということと、でもその立場で反論することはできず、ただこうやって態度で示しながらやり過ごすしかないのだということに気づきました。

このまま萎縮していいのか

YOSAKOIソーランのことに限らず、一旦叩く流れができるとそれがどんどん一人歩きをして、関係者が何を言っても聞き入れらず、実際のところを公平に見てもらうこともできない、そんな流れが繰り返される現状はいやですね…。何より、せっかく作り上げてきた北海道の文化(文化じゃないという人もいますが、私は立派な文化だと思います)が、萎縮してしまうことに懸念を覚えます。

このくらい、自分一人くらいが言ったところで失くなることはないだろうと思っても、バッシングによって潰れたり廃れたりするのって、実はあっという間です。そういう風に消えていった芸能人やイベントは、これまでにもいくつも思い浮かびますよね。文化を育むのは、本人たちの頑張りも必要ですが、実は周りの目や応援なのではないでしょうか?

現在は全国的にも、海外からも注目される「さっぽろ雪まつり」も、元は地元の中・高生が大通公園にたった6つの雪像を作ったことが始まりだったそうです。それが多くの人の支持を受け、盛り上げ盛り上がり、今のような大きなまつりへと成長したのだそうです。

札幌人は応援上手

私は基本的に札幌や北海道の人は、こういったことを応援し盛り上げるのが上手だと思っています。日本ハムファイターズもそうですが、チームを応援し、ここまで花開かせたのは、もちろん監督や選手の力もありますが、北海道民の応援の力もあったのは間違いありません。

さっぽろ雪まつりと並び、初夏の風物詩であるYOSAKOIソーラン祭りがもし失くなったら、寂しいと思いますよ。少なくても私は嫌です。「YOSAKOIソーラン」のファンなんているの?という批判も目にしましたが、ちゃんといますよ。そうじゃなかったら、観客動員数205万4,000人(2016年)なんて達成できるわけありません。

もちろん耳を傾けるべき批判もあります。運営などお金が絡むところには、大人の事情がいろいろあるんだろうことは想像できます。奇しくも「踊らにゃソンソン!」の阿波踊りは、主催者側のゴタゴタが表面化しているようですね。

徳島の地元財界は大騒ぎ!この夏、「阿波おどり」に中止の危機
参照元:現代ビジネス

利権に群がる人の思惑で祭りが中止になるようなことは、純粋に踊りを楽しみたい人にとって迷惑以外の何物でもありません。こういった無形のものは、作るのも持続させるのも、そして壊すのも地域の人だという意識を持たないといけませんね。批判について謙虚に受け止めるべきところは受けとめ、透明性のある運営を行うことは大切です。でも、青春をかけている踊り手さんたちには、のびのびと踊っていて欲しいと思います。好きなものは好きでいいんですから。

地域を振興してくれるイベントは、地域の宝です。世の中には盛り上げようとしても盛り上がらないイベントやまつりがどれだけあることか…。札幌人・北海道人の応援力は健在だと、私は信じています。

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