時計台の歴史

札幌の時計台といえば、札幌のシンボル的存在として定番の観光スポットです。

この時計台はもともとは北海道大学の前身である、札幌農学校の演武場でした。

初代教頭として有名なクラーク博士を迎え、札幌農学校が開校したのが明治9年。開拓使との契約によりクラーク博士は翌年(明治10年)に帰国しました。

その時札幌を去るクラーク博士は馬上より見送る農学校の生徒に、「Boys,be ambitious!」(少年よ、大志を抱け)の言葉を残したと伝えられています。

そして演武場はクラーク博士の構想をに基づき、2代目教頭となったホイーラー先生が基本構想図を作り、クラーク博士帰国の翌年(明治11年)に完成しました。

クラーク博士が札幌に在任していたのは8ヶ月という短い期間でしたが、農学校の教育面のすべてを定め、その後の札幌農学校の発展の基礎を築いた功績者ということで今なお札幌の人たちに親しまれています。

農学校の開校式の演説で語ったと言われる、

「be gentleman! 紳士たれ!の一語に尽きる。やかましい校則はいらない。全て自己の良心に従って判断行動し勉学に励みなさい」

という教育方針からも、博士が優れた教育者であったことを伺わせます。

その後、明治14年には塔時計が設置され、鐘の音とともに時刻を刻み始めました。

現在の時計台は

現在の時計台ですが、館内では時計台の歴史を紹介する展示や、時計台の実物と同じハワード社の兄弟時計の展示を見ることができます。

2階は貸しホールとしても使われていて、夜間は小さな音楽会などが開かれていることも多いです。その歴史ある雰囲気と意外に安価な価格設定にホールとしての人気も高く、市民に親しまれています。(但し、借りるに当たっては責任者は札幌又は札幌近郊居住者など、いろいろ制限があります。)

現在はビルに囲まれ、こんなところにあったんだ!とよく言われる時計台ですが、札幌の象徴として人気は高く、いつも写真を撮る観光客で賑わっている印象です。

札幌を訪れたなら一度は見ておきたい観光スポット、時計台の紹介でした。